著者序文

西原春夫

このたび私の在華講演集が北京大学出版社から発行されることになった。まことに光栄なことで感謝に堪えない。出版を企画し、総指揮をとってくださった 北京大学の陳興良先生、編集の実務に携わってくださった華東政法大学のゆう改之先生、出版を引き受けてくださった北京大学出版社の蒋浩副編集長を始め、多くの関係者各位に心から御礼申し上げたい。私が初めて中国を訪問したのは1982年、中国で初めて講演をしたのは1986年のことだった。以来最後に中国を訪問した2019年まで中国で講演にご招待頂いた回数はおそらく50回を超えると思われるが、そのうち20点の講演は2008年に、上掲ゆう改之先生のご厚意で山東大学出版社から「刑法·儒教与亜洲和平」という表題の本に纒められて出版された。したがって、このたびの在華講演集は2冊目で、2009年以降に中国で行なった20回余りの講演中10点が登載されている。

本書の表題は「シンギュラリティは近い——迫って来る技術革新と法律家の課題」とされたが、直接この問題に正面から取り組んだのは、6番目の講演に限られている。ただ広い意味では、その他の講演も、大部分、科学技術の発展·社会生活の変化·刑事法学·刑事司法への影響に着目したものだったことは確かである。

この点に関し読者の皆さんに注目して頂きたいのは、この「奇点」という視点が、全然別な形でもう一度出てくることである。それは最後の講演「中国有力量建立理想社会」の末尾である。

この講演は、2021年10月に北京で開催された大きなシンポジウムの開幕式で、基調講演の一つとしてオンライン方式で行ったものであるが、ここで私は、社会主義国は共産主義という理想の実現を目指して常に「改革·向上·変化」することに特徴があり、今の中国もその途上にあると考えている。中国の指導者が近い将来中国はどうあるべきかを考えているとすれば、その場合、ぜひ視点の中に入れるべきなのは、経済政治機構に絶大な変化をもたらす「奇点」だと主張した。

この観点は参加者の大きな関心を呼んだようで、シンポジウムの共催者である「中国社会科学雑誌」から、この講演の内容を基礎にしてそれを拡大した論文を書いてほしいとの依頼が来た。その成果が、最近同誌43巻1号として発行された、講演と同名の論文ある。そこで私は、奇点が「民主主義か強権主義か」「資本主義か社会主義か」の対立を融和する方向に働き、それはどちらかというと社会主義中国にとって有利だという主張をした。これは法律学とは直接関係ないが、興味深い視点だと思うので、読んで頂ければ幸いである。

登載された幾つかの講演の中には、中国とかかわったいくつかの強烈な思い出が登場する。その中でも、二人の同年配の畏友、馬克昌武漢大学教授、高銘暄中国人民大学教授について語れたことは幸いだった。お二人は戦後中国刑法学の開拓者と評価されるべき逸材で、「南馬北高」とも称えられていた。私など足元にも及ばないお二人だが、大変親しくお付き合いさせて頂いた。これもお二人の優れたお人柄の表れと言ってよいであろう。

こうして振り返って見ると、茫々40年、その時その場所で触れ合った非常に多くの方々の面影がよみがえって来る。無限のなつかしさをこめて、短い序文の筆を擱く。

2022年4月1日